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ありました。行先も、明などには、あまり目もくれず、黑潮にそつて南へ南へと進みました。さうして、南蠻船とせり合ひながら、國民の海外發展心を、ますます盛んにしたのであります。

御稜威のもとに、大東亞をしづめようとした秀吉は、一面きはめて孝心に厚い人でありました。へいぜい母に仕へて、なにくれと孝養をつくし、その死目にあへなかつた時など、あたりをかまはず泣き叫んだといふことです。また、つねに恩を忘れず、始めて仕へた松下氏に、多くの領地をおくり、てあつくこれをもてなしました。

朝廷では、秀吉の功を賞して、死後、豐國大明神の神號をたまはり、正一位をお授けになりました。京都の豐國神社に參拜し、また數數の遺物や遺跡によつて、秀吉の志をしのぶと、今更のやうに、その偉大さに心を打たれるのであります。