このページはまだ校正されていません
が十分でないため、軍隊や兵糧の補給がはかどらず、占領地の守備には、たいそう苦心しました。
朝鮮の要地
明は、大いに驚き、小西行長について講和の交涉を始める一方、卑怯にも、大軍をさし向けて、行長を平壤に破り、一氣に京城へせまらうとしました。これを碧蹄館に迎へ擊つたのが、小早川隆景・立花宗茂らでありました。日ごろの手なみを見せるのは今と、出陣のことばもををしく、六七倍の明軍をさんざんに擊ち破つて、勇名をとどろかしたのでありあります。
が十分でないため、軍隊や兵糧の補給がはかどらず、占領地の守備には、たいそう苦心しました。
明は、大いに驚き、小西行長について講和の交涉を始める一方、卑怯にも、大軍をさし向けて、行長を平壤に破り、一氣に京城へせまらうとしました。これを碧蹄館に迎へ擊つたのが、小早川隆景・立花宗茂らでありました。日ごろの手なみを見せるのは今と、出陣のことばもををしく、六七倍の明軍をさんざんに擊ち破つて、勇名をとどろかしたのでありあります。