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でになつたのであります。
豐臣秀吉
秀吉は本能寺の變のしらせを受けて大いに驚き、信長の死を深く悲しみました。しかし少しも色にあらはさず、すばやく毛利氏との和議をまとめると、ただちに兵をかへして、光秀を山城の山﨑に攻めほろぼしました。本能寺の變からこの時まで、わづかに十一日です。ほかの家來が、京都の近くで、うろたへさわいでゐる間に、秀吉は、かうもあざやかに、主の仇を討つたばかりか、てあつく信長の葬儀までとりおこなひました。人々は目をみはつて驚き、秀吉の評判は、には