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の上に、御代のしづめとうち建てられた七重の天守閣が、松のみどりをちりばめて、中空高くそびえ立ち、内部のかざりも、目のさめるほど、はなやかでした。守るに堅く住んでよく、今までにない、りつぱな城でした。信長をしたつて、集る人も日ごとにふえ、安土の里は、見る見るにぎやかな町になりました。信長は、得意の馬術をみせるなど、士民の心をひきたてました。しかも信長は、ここにおちつくひまもなく、海内平定の步みを進めたのであります。

天正十年、信長は、德川家康らと結んで、東に武田氏を討ち、西へは武將羽柴秀吉をつかはして、毛利氏を攻めさせました。武田氏は信玄の死後しだいに衰へ、今また信長・家康に攻めたてられて、これを防ぐに由なく、天目山の戰を最後に、つひにほろびました。しかし、毛利氏は、元就の死後も、一族が力を合はせて、孫の輝元をもり立