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た。永祿三年、駿河の今川義元が、大群を率ゐて、尾張に攻め入りました。義元は、遠江・三河を從へた勢に乘じ、更に織田氏を破つて、一氣に京都へのぼらうとしたのです。信長は、淸洲の城で、家來たちと夜話に興じてゐましたが、このしらせを受けても、顏色ひとつかへず、そのまま話を續けました。翌朝、みかたのとりでが危いとの第二報で、すぐさま得意の馬を走らせて、打つて出ました。時に義元は、次々の勝軍に心がおごり、桶狹間に陣取つて酒盛の眞最中でした。信長は、折からの雷雨をさいはひ、わづかの兵で、不意にその本陣を突き、敵兵のうろたへさわいでゐる間に、大將義元を討ち取りました。この一戰で、信長の武名は一時にあがり、天下の形勢もまた、大いに變りました。やがて信長は、美濃の齋藤氏をほろぼし、その城を收めて、岐阜に移りました。