このページはまだ校正されていません
幕府の命によつて、次々にいたましい最期をとげました。
身はたとひ武藏の野邊にくちぬとも
とどめおかまし大和だましひ
松蔭は、かう歌つて、國家の前途をうれへながら、まだ三十歲といふ若さで、惜しくもたふれました。しかし、松下村塾で育つた人たちは、よく松蔭の志を受けつぎ、また水戸の弘道館からも、續々尊皇の志士が現れました。
かうして直弼は、攻擊の矢面に立ち、萬延元年三月三日、つひに水戸の浪士におそはれて、櫻田門外でたふれました。昨日は心ならずも志士を斬り、今日は思ひがけなく志士に刺される。わが國にとつてのよくよくの難局でありました。ともあれ、直弼の死によつて、幕府はその威嚴を失ひ、尊皇攘夷をとなへる人々は、やがて幕