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Page:Textbook of Japanese History for Elementary School on 1943 vol 1.pdf/88

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を少しもおいとひなく、もつぱら御儉約ごけんやくにつとめさせられ、すたれてゐた御儀式を御再興ごさいこうになりました。また、皇大神宮の社殿をお造りかへになることにも、いろいろ心をお用ひになりました。ある年、雨が降り續いて、不作とはやり病のために、民草が續々たふれました。天皇は、みてづから經文きやうもんをおうつしになり、これを國々の社や寺にをさめて、わざはひが除かれるやう、お祈らせになりました。

御惠みの光に照らされて、世の中は、しだいに明かるくなつて行きました。各地の英雄も、さすがに日本の武士でした。しのぎを削つて敵と戰ふかたはら、部下をいたはり人々をいつくしんで、よく領内の政治を整へました。戰ひぶりにも、しだいに、みがきがかかつて來ました。その上、かれらは、何とかして都へのぼり、天皇の命令を奉じて、全國を平定しようと、考へるやうになりました。ただ、だれもかれも、たがひに、にらみ合ひのかたちなので、それを實行することは、なかなかむづかしいことでした。

川端道喜の眞心
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川端道喜の眞心

そこでこれらの英雄は、皇帝の日常のことをもれ承ると、續々御費用をたてまつつて、勤皇きんのうの眞心をあらはし始めました。大内義隆よしたか・北條氏綱・上杉謙信・毛利元就・織田信秀のぶひでとその子信長など、多く