三 國民のめざめ
足利義政が、荒波とたたかふ八幡船などには目もくれず、銀閣を建てたり茶の湯を樂しんでゐたのは、ちやうどヨーロッパ人が、東亞の航路を探つてゐたころのことでした。幕府の命令は、もう山城一國に及ぶか及ばない有樣で、地方では、武將が、自分の領地をひろげるため、力にまかせて攻め合ひを始めました。まつたく、強いもの勝ちの世の中になつて、人々の苦しみは、增すばかりでした。義政の次に將軍に任じられた義尚は、武將のわがままをおさへようと、いろいろ工夫しましたが、もう何としても、ききめがありませんでした。
戰亂の渦卷は、まづ關東に起りました。やがて、それが潮のやうな勢で全國へひろがり、國々は、大波にのまれさうになりました。この大波にもまれて、幾人もの英雄が、次々に現れたのです。關東では、北條早雲が、後土御門天皇の御代に、早くも伊豆を略しました。その後、北條氏は、子の氏綱、孫の氏康と、三代・五十年の間に勢を得て、後奈良天皇の天文年間、つひに關東一たいを平定しました。これと前後して、中部には、上杉謙信・武田信玄・今川義元・織田信長、中國に