Page:Textbook of Japanese History for Elementary School on 1943 vol 1.pdf/69

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建てて、天皇をお迎へ申しあげました。かうして、谷間を渡るうぐひすの鳴く音ものどかな、春がやつて來ました。

義貞の鎌倉攻め
義貞の鎌倉攻め

いよにはどゐみちますとくのうみちつなひごにはきくちたけときなど、勤皇の武士が、しきりにふんきしました。ことに武時は、北條氏の守りも堅い九州で、眞先に勤皇の旗を上げ、壯烈きはまる戰死をとげたのでした。かうした形勢に、おどろきあわてた高時は、六波羅が危いと見て、あしかがたかうぢらを京都へのぼらせました。ところが尊氏は、形勢をみて、にはかに官軍にくだり、勤皇の武將と力を合はせて、六波羅を落としました。この間に、かうづけから起つたにつたよしさがが、手うすになつた鎌倉を突き、ゆふきむねひろとしめし合はせて、一氣に幕府を倒しました。元弘三年五月のことでした。

源義國─新田義重…朝氏┬義貞┬義顯
           └義助├義興
              └義宗

六波羅が落ちると、天皇は、ただちに船上山から京都へお向かひになりました。みちみち、勤皇の武士がお供に加り、おん行列は、やがて兵庫へ着きました。兵庫には、正成が部下七千をひきゐて、お出迎へ申してゐます。天皇は、正成をおそば近くお召しになつて、このたびの忠義をあつくおほめになり