コンテンツにスキップ

Page:Textbook of Japanese History for Elementary School on 1943 vol 1.pdf/67

提供:Wikisource
このページは校正済みです
        楠木
敏達天皇…橘諸兄…正遠┬正成┬正行
           └正季├正時
              └正儀

正成は、赤坂あかさかに城を築いて、天皇をお迎へ申しあげようと思ひましたが、その間に、そなへの手うすであつた笠置は、攻め寄せる賊の大軍の手に、惜しくも落ちてしまひました。赤坂城へは、護良親王が、やつとお見えになりました。天皇は、赤坂へのおん途中、申すもおそれ多い御苦難ごくなんをしのばせられて、京都へお歸りになることになりました。勝ちほこつた賊軍は、一氣に赤坂城へ押し寄せました。正成は、智略ちりやくをしぼつて、さんざん敵をなやましましたが、何ぶんわづかな軍勢なので、機を見て城をのがれ、たくみに姿をかくしました。

勤皇の史蹟
拡大
拡大

Clip

勤皇の史蹟

一方玆俊は、中國方面の賊軍を引きつけて、てがらを立てました。しかしこれも、笠置・赤坂が相ついで落ちると、賊のはげしい攻擊を受けるやうになりました。玆俊は、力のかぎり戰つて、櫻の花のやうに、みごとな最期さいごをとげました。

元弘二年、都の花も今がさかりの三月に、天皇は、幕府の無道をおしのびになつて、波間に沈む夕日のさびしい隱岐おきの島におうつりになりました。しかし、まだ正成は生きてをります。あるひは、赤坂城をうばひ