Page:Textbook of Japanese History for Elementary School on 1943 vol 1.pdf/59

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身をつつしみ、政治にはげんで、義時の罪をつぐなふことにつとめました。

三 かみかぜ

鎌倉幕府が開かれたころ、てうせんには、かうらいといふ國があり、滿洲・北支には、きんといふ國があり、中支・南支には、そうといふ國がありました。わが國とこれらの國々との間に、表向き使節の往來はありませんでしたが、商人や僧たちの中には、高麗や宋と、盛んに行つたり來たりするものがありました。

元の勢

元の勢

ところで〈第八十三代〉土御門天皇のころ、金の治めてゐるもうこから、てむぢんといふ者が出て、蒙古地方をとういつし、じんぎすかんと名のりました。以後五十年ばかりの間に、蒙古は、すぐれた武力とたくみな作戰によつて、アジヤの大部とヨーロッパの一部を合はせ、すばらしく強大な國となりました。初めはなかなか屈しなかった高麗も、つひになびいて、そのいふことを聞くやうになりました。

蒙古は、勢に乘じて、わが國をも從へようと考へ、〈第九十代〉かめやま天皇のぶんえい五年、使節をよこして國書をたてまつりました。その文章があまりにも無禮なので、朝廷では、返書をお與へになりま