いと見えた時「清和天皇六代の後裔、陸奧守源賴義の嫡男、八幡太郞義家」と、名乘りも勇ましく、むらがる敵を射倒して、血路を開いたこともあります。また、敵將貞任を追ひつめながら、歌のやりとりに、あつぱれなおちつきぶりを示し、敵をあはれんで、いつたんこれを逃がしてやつたといふ、ゆかしい話もあります。
白河天皇の御代に、またまた奧羽がみだれた時(後三年の役)、陸奧守であつた義家は、源氏の總大將として、堂々と再征の駒を進めました。あるひは、剛臆の座を作つて、將士の勇氣をふるひたたせ、また寒さにこごえた部下を、身を以てあたため、あるひは、雁の列のみだれを見て、伏兵がゐることを察しるなど、よく名將のほまれをかがやかしました。「勇將のもとに弱卒なし」といひますが、十六歳の鎌倉權五郞景