はなやかな時でありました。道長は、家門の榮えに滿足して、これを望月にたとへたほどでした。法成寺は、その後あとかたもなく燒けてしまひましたが、當時書かれた本によつて見ると、實にすばらしいものであつたことがわかります。
中央の政治がゆるむと、地方は地方で勝手になり、世の中が、だんだんみだれて來ます。山賊や海賊がはびこり、役人の中には、人々をなつけ、武藝をねらせて、賊に備へるものもありました。自分らの手で、地方の亂をしづめるために、家來を集め武藝をねる。かうしたことから、武士といふものが起るやうになりました。中でも源氏と平家は、もともと家がらがよく、主となる者は、人がらもりつぱで、なさけが深く、從つて、部下がよくなつきました。かれらは、それぞれ地方をしづめて功を立て、それとともに、勢はしだいに盛んになつて行きます。刀伊が攻め寄せたのは、都の人の心がゆるみ、地方の政治も振るはない時のことでしたが、しかも、よくこれを退けることができたのは、筑紫の武士がふるひたつたからです。
賴通の生活も、道長同樣はなやかなものでした。かれもまた、宇治に平等院を建てましたが、その一部分の鳳凰堂が今に殘つて、藤原氏の榮華をしのばせてゐます。なだらかな屋根の勾配、すらりと