いろいろ政治(せいぢ)をお改めになりました。特に御(み)心をお用(もち)ひになつたのは、地方の政治であります。わが國は、西に大陸をひかへてゐますので、地方の政治も、西と東とでは、力の入れ方に、昔から多少のちがひがありました。
奧羽(あうう)の要地
從つて西の國々は、わりあひ早くから開けましたが、東の方は、とかくおくれがちでありました。奧羽地方の日本海方面は、齊明天皇のころから、しだいに治り、太平洋方面は、聖武天皇のころ、仙臺(せんだい)あたりまで開けましたが、その北の一たいが、まだそのままで、その地の蝦夷(えぞ)が、しばしばそむきます。
そこで桓武天皇は、坂上田村麻呂(さかのうへのたむらまろ)を征夷大將軍(せいいたいしやうぐん)に任じて、この蝦夷をお討たせになりました。田村麻呂は、武勇にすぐれ、なさけも深い、りつぱな武將でありました。從ふものはゆるし、手むかふものは討ち從へて、今の岩手(いはて)縣のあたりまで進み、膽澤城(ゐざはじやう)を築いて兵をとどめ、めでたく凱旋(がいせん)しました。ながらくの間、ついたり離れたりしてゐた蝦夷も、こ