Page:Textbook of Japanese History for Elementary School on 1943 vol 1.pdf/35

提供:Wikisource
このページは校正済みです

ば吹き流されたり、くつがへつたり、まつたく命がけの航海でありました。それでも、海外へのびようとするわが國民は、よくこの困難こんなんに打ちかち、そのつとめをはたしたのであります。

使節が唐へ行つてのふるまひも、まことにりつぱでありました。唐の國王が、使節の禮儀正しいのに感心して、日本の國がらをほめた話もあります。また、わが國の面目めんもくにかかはるやうな扱ひを受けたため、相手を手きびしくやりこめた使節もあります。留學生の中でも、名高い阿倍仲麻呂あべのなかまろは、わづか十六歳で支那へ渡り、その名を唐にとどろかしました。歸りに船が吹き流されて、なつかしい奈良をふたたび見ることができず、つひに大陸で一生を終りました。

大陸との交通
拡大
拡大

Clip

大陸との交通

聖武天皇の御代は、唐の最もはなやかな時でありましたが、やがて唐は、〈第四十七代〉淳仁じゆんにん天皇の御代にらんが起り、これをしづめるのに苦しみました。わが國から、わざわざ、弓を作る材料を送つて、唐をはげまさうとしたほどです。

滿洲には、元明天皇の御代に、渤海ぼつかいといふ新しい國がおこりましたが、この國の王もまた、わが國がらをしたつて、聖武天皇の御代に使節を送り、丁寧な國書とめづらしいみつぎ物とを持たせてよこしました。渤海は、その後、國がほろびるまで約