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Page:Textbook of Japanese History for Elementary School on 1943 vol 1.pdf/34

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二 遣唐使(けんたうし)と防人(さきもり)

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〈第四十六代〉孝謙(かうけん)天皇の御代に、いよいよ大佛ができあがると、盛(せい)大な儀式がおこなはれ、全國から一萬の僧が集つたほか、はるばる支那やインドからも、名僧が參列しました。また、正倉院の御物の中には、大陸の國々から傳來した、めづらしい品物があります。これらによつてもわかるやうに、このころ東亞(とうあ)の交通(かうつう)は大いに開け、東海に位するわが國は、これら東亞の諸國に對して、堂々と交(まじは)りをしてゐました。

 荒波をしのいで
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荒波をしのいで

天武天皇のころから、半島・大陸の形勢(けいせい)もおちついて、國々の間がらは、よほどしたしくなつて來ました。わが國は、唐へ遣唐使を送つて威風を示(しめ)し、唐の使節もまた、たびたび來朝し、新羅も、前どほりみつぎ物をたてまつりました。奈良の御代御代には、往來が一だんと盛んで、遣唐使を出した回數も、このころがいちばん多かつたやうです。 遣唐使の一行は、留學生を加へて、五百人以上の人數でありました。難波(なには)から船を出して、博多(はかた)に寄り、東支那海を橫ぎつて大陸へ向かひます。當時の船は、外海の荒波を乘りきるのに、決して十分ではありませんでした。しばし