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したので、米やきぬの産額は、いちじるしくふえて來ました。さうして、雄略天皇の御代には、國内や半島からたてまつるみつぎ物が、朝廷の御藏みくらに滿ちあふれるほどになりました。そこで天皇は、藏を大きくお建てになり、武内宿禰たけのうちのすくねの子孫にあたる蘇我そが氏に、藏をつかさどる重い役目をお命じになりました。

天皇は、かうして國がゆたかになるのも、ひとへに神々のおかげであるとお考へになり、神代の昔、大神をたすけてまつつて、農業や養蠶のことにおつくしになつた豐受大神とようけのおおかみを、皇大神宮の近くにおまつりになりました。これが外宮げくうの始りであります。

もうこのころは、神武天皇の御代から、千年以上もたつてゐます。「青山にこもる大和」も、名實ともに國の中心となり、「やまと」といへば、海をめぐらす日本全體をさすほどになつてゐました。また、海をへだてた大陸に對し、おごそかにかまへる「もとの國」ともなつてゐたのであります。

大和の國原
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大和の國原

二 法隆寺ほふりゆうじ

このやうに、國の勢がのびて來ると、國民の心に、ゆるみを生じるおそれがあります。朝廷に仕へるものは、家がらによつて、代々役目がきまつてゐるので、しぜんつとめを怠りがちになり、中には、皇室の御惠みになれたてまつつて、わがままをふるまふものさへあります。特に、蘇我氏を始め重い役目の人たちで、勝手に多くの土地