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煙が、朝もや夕もやのやうに、一面にたちこめてゐます。天皇は、たいそうお喜びになつて「ちんすでにめり」と仰せになりました。御惠みにうるほふ民草は、今こそと宮居の御修理ごしうりを願ひ出ましたが、天皇は、まだお聞きとどけになりません。さらに三年たつて、始めてお許しが出ましたので、喜び勇んだ民草は、老人も子どもも、日に夜をついで、宮居の御造營にはげみました。

天皇は、その後、池・溝・つつみなどを造つて、農業をお進めになつたり、橋をかけ道を開いて、交通の發達をおはかりになつたりしました。かうして、御父天皇以來御二代の間に、多くの荒地は、瑞穗みづほのそよぎわたる水田とかはり、米の産額さんがくが、いちじるしくふえました。今、さかひにある御陵ごりようにお參りして、ひさご形の山を仰ぐにつけても、天皇の聖德せいとくのほどを、しみじみとおしのびすることができます。

御養蠶
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御養蠶

その後、五十年餘りたつて、〈第二十一代〉雄略ゆうりやく天皇がお立ちになりました。天皇は、御心を深く養蠶業やうさんげふの發達にお用ひになり、皇后もまた、おんみづからかひこをお飼ひになつて、人々に手本をおしめしになりました。養蠶業につくした人々の子孫は、この時重く用ひられ、また、あらたに招かれて支那から來た機織の職人も、少くありませんでした。

このやうに、御代御代の天皇が、産業の發達をおはかりになりま