Page:Textbook of Japanese History for Elementary School on 1943 vol 1.pdf/13

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みに包まれた御船は、さらに、熊野灘の荒波をしのいで進まなければなりませんでした。紀伊へ上陸になつても、さらに大和へ入る道すぢは、山がけはしく谷が深く、まつたく道なき道を切り開いての進軍でありました。しかし、御軍には、つねに神のおまもりがありました。熊野では、高倉下たかくらじ神劒しんけんをたてまつり、山深い道では、羽ばたきの音高く、八咫烏やたがらすが現れて、御軍をみちびき申しあげました。かうして、大和へお進みになつた天皇は、みちみち、わるもののはかりごとをおくじきになり、從ふものはゆるし、手むかふものをお平げになつて、最後に、長髓彦の軍勢と決戰なさることになりました。

鵄邑の顯彰碑
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鵄邑の顯彰碑

御軍人たちは、一せいにふるひたちましたが、賊軍も必死になつて防ぎます。またまた、はげしい戰になりました。折から、空はまつ暗になり、雷鳴らいめいがとどろいて、ものすごいひようさへ降つて來ました。すると、どこからとなく、金色のとびが現れて、おごそかにお立ちになつていらつしやる天皇の、御弓の先に止りました。金色の光は、いなづまよりもするどくきらめいて、賊兵の目を射ました。御軍は、ここぞとばかり攻めたてました。賊はさんざんにやぶれました。かねて、天皇に從ひたてまつることをすすめてゐた饒速日命は、つひに長髓彦をつて降參かうさんしました。

大和地方はすつかりをさまつて、香久かぐ畝傍うねび耳成みみなしの三山が、かすみ