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の級の生徒は、学校中のお手本だと云つて、校長先生までが頻りに褒めておいでになる。だから皆さんもその積りで、一時の事でなく、此れがいつ迄も続くやうに、さうして折角の名誉を落さないやうにしなければいけません。先生をビツクリさせて置いて、三日坊主にならないやうに頼みますよ」

子供たちは、再び嬉しさのあまりどつと笑つた。しかし沼倉は貝島と眼を見合はせてニヤリとしたゞけであつた。


七人目の子を生んでから、急に体が弱くなつて時々枕に就いて居た貝島の妻が、いよ肺結核と云ふ診断を受けたのは、ちやうどその年の夏であつた。M市へ引き移つてから生活が楽になつたと思つたのは、最初の一二年の間で、末の赤児は始終わずらつてばかり居るし、細君の乳は出なくなるし、老母は持病の喘息が募つて来て年を取る毎に気短かになるし、それでなくても暮らし向きが少しづゝ苦しくなつて居た所へ、妻の肺病で一家は更に悲惨な状態に陥つて行つた。貝島は毎月三十日が近くなると、一週間も前から気を使つて塞ぎ込むやうになつた。貧乏な中にも皆達者で機嫌よく暮らして居た東京時代の事を想ふと、あの時の方がまだ今よりはいくらか増しであつたやうにも考へられる。今では子供の数も殖えて居る上に、いろの物価が高くなつたので、病人の薬代を除いても、月々の支払ひは東京時代とちつとも変らなくなつて居る。それに、若い頃なら此れから追ひ月給が上ると云ふ望みもあつたけれど、今日となつては前途に少しの光明もあるのではない。

「さう云へば東京を出る時に、あなた方がMへお引越しになるのは方角が悪い。家の中に病人が絶えないやうな事になりますツて、占ひ者がさう云つたぢやないか。だから私が何処か外にしようツて云つたのに、お前が迷信だとか何とか笑ふもんだから、御覧な、きつとかう云ふ事になるんぢやないか」

貝島が溜息をついて途方に暮れて居る傍で、何かと云ふと母親はこんな工合に愚痴をこぼした。細君はいつも聞えない振りをして、黙つて眼に一杯涙をためて居た。

六月の末の或る日であつた。学校の方に職員会議があつて、日の暮れ方に家へ戻つて来た貝島は、二三日前から熱を起して伏せつて居る細君の枕もとで、しくしやくり上げる子供の声を聞いた。

「あ、また誰かゞ叱られて泣いて居るな」

貝島は閾を跨ぐと同時に、直ぐさう気が付いて神経を痛めた。近頃は家庭の空気が何となくソワソワと落ち着かないで、老母や妻は始終子供に叱言を云つて居る。子供の方でも日に一銭の小遣ひすら貰へないのが、癇癪の種になつて、明け暮れ親を困らせてばかり居る。

「これ、おばあさんがあゝ云つていらつしやるのに、なぜお前はお答へをしないのです。お前はまさか、いくらお母さんがおあしを上げないからと云つて、人の物を盗んで来たのぢやありますまいね」

かう云ひながら、ごほん、ごほんと力のない咳をして居る細君の声を聞くと、貝島は思はずぎよつとして急いで病室の襖を明けた。其処には総領の啓太郎が、祖母と母親とに左右から問ひ詰められて、固くなつて控へて居るのであつた。

「啓太郎、お前は何を叱られて居るのです。お母さんはあの通り加減が悪くつて寝て居るのに、余計な心配をさせるのではありませんて、此の間もお父様が云つて聞かせたぢやないか。お前は兄さんの癖にどうしてさう分らないのだらう」

父親にかう云はれても、啓太郎は相変らず黙つて項垂うなだれたまゝ折々思ひ出したやうに、涙の塊をぽたり、ぽたりと畳へ落して居た。