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ハまたイキリスを懼るゝ樣にも考付候はゝ國內衰弱仕候やうにも推察仕乍恐國家の御武威も損し候やうにも相なり候半哉に恐多考られ候甲の人曰しからハいかゝとり扱しかるへき哉尤是ハ御政事に關り候ことにて容易ならさることに候へとも御存入も候はゝ御遠慮なく御はなし被下度候乙の人曰これハ國家御政治の事愚昧の賤民なと申あくへきもおそるへきことに候得とも蒭蕘の言も採る所あるの古意も候へハ恐多くも愚意を申あくへく候先只今イキリス人の底意兎も角も佗の仁義を唱へ漂流人を送り來候とも江戶近海ハ御要害の地にて着岸御免なりかたく長崎なりとも何方なりとも着岸御免おほせつけられ右漂民御うけとり被遣右の御挨拶として厚く御褒美御惠みくたしをかれ先第一愚案ハ當時和蘭陀人ハ外國の耳目官におほせつけられ候へハ彼等ハ支那韃旦天竺そのほか諸州に通商仕りいつかたも俗に申候得意旦那に候へハ彼是も格別利害これなき儀に御注進申あくへく候得ハ支那朝鮮魯西亞そのほか諸邦通商の國の動靜日本に關り候ことなとも申出候へハ大功これあり候とも一方にハ大害これあり候ことにて它日彼か爲よろしからさることゆゑ右等の大事ハ决して申あけす候やうにも考られ候得ハこん度イキリス人まかりこし候こそ幸の時節につき當時淸朝朝鮮魯西亞そのほか近國の事情御尋おほせつけられ候はゝ彼このたひ一廉の功を立候こと交易を願たき存慮十分候へハ定めて的實詳細に言上仕へく左候ハヽ座して當今外國の眞實なる事情を詳にし不勞して蘇武張騫を得か如く願ふてもこれなき國家の御大幸に候而して彼より願上候儀ハ一旦御聞屆け遊はされ候てさて交易といふ所に至候てハ國初よ