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に候へハ其事情確知しかたく候へとも先愚見を以て臆裁仕候にこれまて數十年所々より頻に日本へ交易を願たき趣相聞せめてハ海上通船のみきり薪水缺乏の節ハ右のみも願たて種々工夫仕候よしに候得とももとより言語文字も通し不申かたより申あけ候ことも相なり申さすかつ御宥免もこれなく只イキリスと呼候へハ海賊とのみおほしめされ御取あひこれなく右の船國根へちかより候へハ有無の御沙汰にをよはれす鐵炮又ハ火炮にて御うちはらひに成候凡世界中かくのことく御取り扱これなき方に候いつれこれハ蘭人利己のため申あけ候てイキリスハ海賊とのみ讒奏仕候ゆゑの儀と奉存候て此度漢文會得仕候ものに命しまかりいて立せ候て右の趣巨細に訴訟申あけ候ことく奉存候また直に罷出候ても御とり合もこれなく候へは漂流人を送來候を名目に仕候儀に察しられ候また前以て蘭人へ傳言仕候趣にて考候所ちかきうち江戶近海へ船を寄せ候ものハ乃モリソン船との儀を知らせ申あけ候て凡うちはらゐも免れたく存慮の外他事なきやうに奉存候又長崎へまかりこえすすくに江戶近海へ船をよせ候儀ハ右申あけ候乾隆帝の末年貢船のみきりも貢物ことのほか手重にて廣東より陸地運送相なりかたく仍て北京近海に船を寄せたきたん願候て廣東の諸役人を避け直にその下役人の惡行等穩訴仕候ことゝ一般の心くみにて長崎にまかり在候蘭人の邪魔ならひに讒奏を避候存慮と考られ候甲の人又曰當御代の最初より蠻國交易ハ和蘭陀のみにて他ハ御免これなく鎭國の御政道につきとても御免の儀ハおもひもよらす兎角ちかつき候てハ面倒に候間打拂候こと御定これあり候へハ此度も御打拂にこれあるへくと存候右に候は