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Page:Shisekisyūran17.pdf/798

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へも交を結ひたき國王の書簡相添つかはし候よし相聞申候右にて廣東交易のやうすよろしく相なり候近來にてハ廣東にこれある西洋諸國の商舘中イキリス舘尤巨大に相聞申候甲の人問曰モリソンと申もの名のきこえ候ものに御座候哉承たく候乙の人曰隨分承及候者に御座候右ハ元來イキリスにて碩學宏才の者につき彼邦學校の敎授に撰まれ俸祿五六千石に當り候ほとに御座候このものイキリスの支那に嫌忌卑蔑せられ候を歎き右ハ全く言語文字通用し申さゝるゆゑの儀とそんし右相通し候やう仕たく存慮にて二十餘年前より廣東へ態々まかり越え游學つかまつりすてに五車韻瑞なともイキリス語に翻譯いたし開版仕り漢學出精しかなりに文章も書るほとに相なり近年にてハよほと高名にまかりなり候官位も進み職重く用ひられ廣東交易吏の總督とかに相なり南海中の諸軍艦一切支配仕候よしに付少くも水軍二三萬位ハ撫育仕候やう相聞申候左候へハ此方の四五萬石の大名くらゐことにこれあるへくやと存し候甲の人又曰元來漂流人の儀ハ喎蘭人に託し送りつかはし候やう仰わたされをき候ことにてイキリスも和蘭陀隣國の儀につき右も心得をり申へく已に先年備前の回船イキリス領の天竺島へ漂着致し候所イキリス人これを和蘭陀へ渡し送りつかはし候ことこれあり候しかる所此度わさ自國の船に乘且又右漂流人を送りつかはし候まてに候へハ船頭ハなにものにてもしかるへき處右やう高官重職のモリソンと申もの頭取仕り候て送來候こと一向合點ゆき申さす候御高見も候はゝ御腹藏なく御はなしきかせ被下度候乙の人曰何さまこれにハふかき子細もこれあるへく候但しイキリス人に面會うけ給り申さぬこと