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リスを疎み申し候加るにホルトカル〈即日本の南蠻と唱へ候もの〉和蘭人等も廣東へ同樣交易仕候につきイキリスの交易さかんに相なり候へハ自然おの自己の衰微にも相なり候ゆゑいろ讒言を搆へ種々誹謗仕候に付元よりホルトガル喎蘭ハ淸朝革命の比大功もこれありそれ廣く地面を給はりほかならす親愛を受候ものゝ儀に付右讒言を信しなをイキリスハ忌みはゝかられ交易ものハ揃かたよろしからす旣に乾隆年末にハ貸のみ日々まさり多く相なり交易かた立ゆき申さゝるやうにいたり候これにより本國にてもいろ評議致し以來廣東交易休み候かたしかるへく抔申候說もこれあり候所近來イキリスにて茶ことのほか流行仕人々あひもちひ候に付支那交易あひ休み候へハ右缺乏いたし人々めいわくに相なり候且又イキリス領南海諸國天竺及亞墨利加邊茶多くこれあり候へとも其品支那にハはるかに劣りよろしからす其うへ一旦に右間に合候ほと澤山にハとても產し申さす候ことに付交易相休候こともあひなりかたく仍てなをまた評議致候所右交易かたとり揃はさるの儀ハ廣東下役人の所爲にて全く支那帝の意にいてたるにハこれなき樣考られ候に付そのころ嘉慶帝誕生これあり候へハ右誕生を賀し貢物を北京へ呈し候を名として使節をつかはし直に帝へ愁訴仕候かた可然と申ことに一决仕候て本國より人物を擇みロルトマアルラ子イと申ものその撰にあたり正使に仕天文地理醫術物產ハ支那にハ未熟のよしにつき右に熟煉上達仕候もの撰み同船仕らせ右に關係仕候書籍ハ勿論諸器物等にいたるまて一切相整其外支那通譯のものまても相撰み正副使の船各一艘兵糧船案內船都合四艘にて本國より乘出しその序日本朝鮮