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Page:Shisekisyūran17.pdf/766

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あふきかヤツに折居て見れハ、扇子アフギかたにほりたる石の井あり、名水といへとも、夏とてもむすひつべうも覺えす、山のかたにもみち色よく滿て、つまくれなひのあふきか谷とそ見し、

夕顏のしろきあふきのヤツなれやつまこがしたる山の紅葉は

花のヤツにて

さそな昔さきけん春の花の谷跡の名迄も猶匂ふ哉

いにしへ阿佛此里にくたり、月影の谷にかりのやとりして居玉ふ跡と聞て、

其身こそ露ときへてもなき玉や今もすむらん月影の谷

かくて爲相もくたり給ひて、もろともにこゝにてなく成給ひぬとか、爲相の石塔とて、慈恩寺の上の山にあり、名の手向に、

石のハたか後の世のためすけと問ふこそくちぬ其名成けれ

を見めくるに、爰ハたれそれかし、かしこハ其なにかしとかや、古き跡とも限もなし、

建久封疆多變寺 寺終廢壞又平蕪 千旋萬化不跡 昔日英雄骨亦無

九代のあとゝいふを見て、

見てぞけふおもひあはする麻ハなく心の儘のあとの蓬生

新勅撰に入とやらん歌に、

世の中にあさハ跡なく成にけり心の儘の蓬生ヨモギのみして

とあるを今思ひ出てなり、又