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を拜するに、所からつねならす、仙境やかくあらんと覺ふ、塔樣殊に勝たり、慈眼うるはしく、いける人にむかふことく也、いかなる屈强の人も淚をもよほすはかりなり、野鳥來て肩になれ、白龍袈裟に現すと傳へしか、在世の有さまをうつし、倚子に白き鳩二とまり、袈娑に白龍をきざみたり、實や谷虛にして山おのつからこたへ、人無心にして物よく感す、芭蕉無耳雷を聞、磁石無心にして鐵をてんす、無心の力いくばくぞや、菩提心さへ胸に殘らハ、煩惱なるへし、まして煩惱を胸におかんや、煩惱即菩提といへるハ、一坂越たらん人の眼よりいへること葉なり、己眼明らかならすして、達人の言葉をとりもち來て、我物となしていへる倫世におほし、玉ハもと石なれ共、みかゝされハ光なし、みかゝさる石をさして玉なりといはんや、玉といはゝ玉成へし、ひかりなくハ何を玉のことくとせん、達人のいへる心ハ石皆玉也、なとみかきて光をえさる、人皆ほたい也、修して何そ菩提の光をはなさゝるとなり、又修もなく證もなしといへ共、修得證得の人の言葉也、祖師光德にハ花實そなはりたりと、今の世にハあた花のみ咲て實なし、言葉をとるはかり也、甘といふ文字をなめたりとも、口のあまかるへからす、火と唱へたりとて口あつかるへからす、口のほとりにある佛法賴もしからす、何事をも腹にあちはへん人こそ床しけれ、佛光の塔を出て、第四淨智寺に入て見れハ、三間四面の堂一宇、ふるき佛を安置して、いつくを開山堂といふへきやうもなく、末流邊土の僧一人來りて、かつて茅屋ちいさくいとなみかたはらに有り、其次に又一僧一宇をかまへてゐたり、佛殿の本尊もやふれくつれて、こもといふ物にてつゝみてありしを、われらみつから