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に佛殿にむかふ、ゆくての右を嵩山といふ、古木雲をしのき、常盤の松に秋の色をましへ、折からの山のはへいはんかたなし、開山塔西來院ハ此山陰也、惣門に嵩山といふ額あり、佛光禪師の筆也、方丈あり庫院あり、照堂にハ圓鑑と云額あり、圓鑑と打たる額に故有、開山隨身の鑑有、入滅のきわに、是を志深き隨時の僧に授給ふ、開山入滅の後、時賴師をしたひ給ひ、愁歎なゝめならす、或夜師夢に時賴にむかひて宣ふ、我か在世隨身の鑑を、しかの僧に授ぬ、我をしたふ心あらハ此鑑を見給へ、其鑑に我姿を殘す也としめし給ふ、夜明て不思議の思ひをなし、しかの名付たる僧やあると尋給ひけれハ、さ候と申、鑑や持たるととひ給へハ、夢のうちに師のしめしに違はず、さらハ其かゝみをとて取あけ、時賴常に此鑑を見給ひ師をしたひ給ふ、鑑の金をみかきたるに、觀音の像と見えたる金の紋あり、是を我姿を鑑にのこすと、師のしめし玉へハ、實に師ハ大悲の示現有て、辟き无ィ佛の身をあらはし、世をすくひ給ふなるへし、時賴薨し給ひて後、開山塔に籠め給ふ、扨こそ圓鑑と額を書たると、寺僧語られし、鑑の体ハ爐形なるか、爐の丸みを鑑の面に見せて、みかきたる金の紋に大悲の姿ほのかにあり、遠目に見ることく也、開山香拜をとげ、みつからの先師大應國師の塔天源庵に入ぬる、道すからよのつねならす、其むかし我山の開山祖朝參普請して、此道を行還り給ふ事、しらぬむかしを今見るやうに覺えてあはれ也、爰ハ雲關の跡とて、石に切付たる柱の跡あり、遙(透ィ)雲關舊路と頌せられし、我祖の句裏の雲關を過て、普光の塔に入、香をたれて慈顏を仰拜す、諸師の塔をものこらす順禮し、次の日ハ圓覺寺に入、開山佛光禪師