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Page:Shisekisyūran17.pdf/760

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詠めぬるわれをもこめてゑのしまを筆の跡にや人のとむへき

下從金際上登空 一島名高砂八東 驅景何知自成景 人乘舟入畵圖中

同島天祐和尙之韻

西湖易地是君山 江島眺望天水間 潮滿則舟潮落步 波心一路有人還

おのかへ「るきさィ」催して、島をはなれ、もと來し道に向ふ、流を片瀨川といふ、

思へとも思はぬ人のかたせ川わたらバすそやぬれ增りけん

星月夜の井を過るに、夕日もかたふけば、

雲晴て道ハ迷ハし星月夜かまくら山ハ名のみ也けり

新長谷寺に詣て

大和路やうつせハ爰も初瀨寺尾上の鐘の餘所ならぬ聲

あま小ふね泊瀨ナシィとよみしハ實にこゝなるへし、海山かけてなかめ、ひとかたならぬところなり、くれて雪の下のやとりにかへり、五山の樣体ともところのものにとふ、建長寺圓覺寺ハならひの山なり、淨知寺もむかふの山也、壽福寺淨妙寺ハ各別の所なりと、そこの道すからを委伺ひ、燒香順禮の爲なれハ、香の資なととりしたゝめ、威儀をとゝのへ、先建長寺にむかふ、左の偏門にハ東海(海東ィ)法窟と云額有、右の偏門にハ天下禪林と額あり、正門にハ巨福山といふ額あり、山門にハ西燭の筆にて、巨福山建長興國禪寺と二行に額あり、中央の爐ハ石也、閣ハ壞れて今ハなし、仰て見れハ、かりに板をしき、其上に觀音の像を安置す、たゝち