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Page:Shisekisyūran17.pdf/757

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身のあきを思ひ合せて哀也野島の草の冬枯のいろ

夏島ハ名のみなり時ハ冬のなかば

三冬にもふるしら雪のたまらぬハこれ夏島の名にや消らん

笠島に來て

笠島や來てとふ里の夕時雨ぬれぬ宿かす人し有るとややとィ

烏帽子島といへるハ、とはてもそれと知るへし、

朝夕に波よせ來ぬるゑほし島オキよりあらきかさおりィやこれ

箱崎といふあり

神の守る西と東ハ替れともこゝもしるしの箱崎の松

あくれハ三日、鎌倉へおもむくに、一坂をすくれハ里あり、ここなんむつらの浦かととへは、それとこたふ、海人の子ともの遊ふを見て、

四ツ五ツむつらの浦の蜑の子のあそふハ汐の遠干潟哉

あまのすみ家のあはれを見て、

浪あらすむつらの浦のあまの子やかこふとするもまハら也けり

山路十町はかり行て、山の高みをたゝちに切とほしたる道を入ぬれは、鎌倉山を見る、峰一そひ下たり、是にならひて松の重み、是を誠の千とせの松、萬代の鶴岡と覺ふ、行手の右に芝生のひろき所あり、是ハ右大將の御殿の跡也とて、民今にたなもの種物をまかぬとなり、德ほ