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Page:Shisekisyūran17.pdf/755

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るへきぞや、只人と生るゝのみさへかたき事也、たとへハ、天つそらより針をおろして、廣海原わだつみィの底なる一粟をさしてとらんとし、浮木をもとめる龜の如し、况やかゝるまれなる果報に生れあひて、三ツ葉四ツ葉の殿つくり、軒に軒をならへ、さき草のさき、いやましに榮へん世にィ、濱の眞砂の數々かそへても、なをたへぬ祈ハいつの世も、下より上をおしィ无なへて、うとからぬ心なからも、いにしへの跡を見れハ、淺茅がつゆにやとる月ハ、よなかはらす、何事もむかしハ蓬かそまに引かへたるを見る(思ふィ)にも、殘るハ名也、宮寺なとハいとなみしハ、かたはかりも世にとゞまりて、今の世まても、是ハたれ樣のはしめて草をむすひ置玉ふ、これハ誰「か絕」(人の立ィ)たるを重ねてとりおこし給て、今迄かくなんと、所の者の口に殘てつたへ申を、其代の人の形見とそ見る、是を思へハ自の栖居ィ无いかにもして、形見を神社佛閣に殘さまほしき事なり、此世にハあたなからも殘る名ハ朽すして傳へ、後の世は佛果の緣とならん、しかるを時の人ハかゝる事を、かりそめにも聞てィ无、かた腹いたき事にいひなせとも、かしこき世々の君、いかはかり智慮有人も、信し來りたる道なれハ、下りたる世の淺き智惠にてハ、此法をそしりやふりかたし、やふるハやすく立るハかたし、やすきハ道に遠し、道ハいたりかたきものなり、百日かゝりていとなみし家も、破るハ一日の中にあり、何事もかゝる理と思ふべき也、此寺に來て見しますィか笠の軒も落、時雨も露もふりそふ有樣なから、晨鐘夕梵の聲のみ、かつィ无たえぬはかりぞ、此法の今少し殘たるしるしとそ聞し、

山言金澤寺稱名 闇谷晨鐘夕梵聲 時去池連餘飯葉 院荒籬菊尙殘英