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ころもィかりねの夢ハ夢の世を見ならはしともしらではかなき

明行ば海道をふるに、袖も引ちきらず上り下りの人、しるしらす打過行人(衛ィ)、いつれか世に殘りとゝまるへき、夢に逢ひ夢に別れいつるゝいつれィをうつゝぞや、行とまるへき終のやとりを知る人や有、本覺の都とやらんも、名にハ聞つらん、覺束なし、

東往西還見幾人 人々相遇孰相親 親踈不問草頭露 露脆風前夢裡身

いつくよりいつくに通ふ道なれは此世を旅の宿といふらん〈西行法師〉とかゝる事を聞ても身の行衛思ふ人ハまれなる、

とまる身も行も此世の旅ならハつゐのやとりを人にしらせよ

と口の內につふやきなから行に、かしこの里のこなたより、左に付て行末こそ、金澤へ入道なれといふ、そィ无の鄕の名をとへハ、かたひらの里と聞て、

地白なる霜のあしたに肌寒くはいかならんィ夏そ來てみむかたひらの里

と誹諧して谷水(合ィ)の道をへて行、「やふ(瀨々ィ)にして高き所にのほれハ、古きてらなと見付て、山路のうれたき心もやぶれぬ、魂傷山峽深愁破崖寺古、と杜工部か作けん詩を思ひ出しぬ、又一坂をのほれハ一木の松あり、おひのほりたる正木のかつら「ハ、」(靑ィ)つゝらくる人もまれなるに、山男ひとり爪木取か、これにとへハ、能化堂の松これ也といふに、立よりて金澤を見おろせハ、詞もなくて、實や此入海ハ古へより、唐土の西湖ともてなしけるときくもいつはりならし、迫門の明神とて入海にさし出たる山あり、古木くろみ麓に橋あり、