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Page:Shisekisyūran17.pdf/751

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いふ、千光の法嗣退耕行勇禪師開山たり、塔を光明院といふ、此外十刹諸山の禪院、代々の新營數をしらず、來朝の法(諸ィ)の烈祖、ィ无此里に跡を殘し玉ふ、其昔延曆の頃、和州大安寺行表和尙示寂、其先神秀派の禪ナシィ師來朝有、即行表和尙大安寺に禪院を立、行表空海最澄ィ无參禪有之、其禪ハ宗派斷絕す、南宗の禪日本に傳りてより、此里にハ誠に禪師(河ィ)の源なり、おのれか十二世の先師圓通大應國師も、龜山院の文安三年の秋に皈朝有て、建長寺に住持し玉ふ、此間筑前の興德寺仝國橫岳ィ无崇福寺、京師の萬壽寺に住し玉ふ、相合て四會の緣有、後宇多院其道をしたひ玉ひて、國師遷化の後、城西の安井に龍翔寺を創草し玉ひて、師の遺像を安置し、跡猶今に殘れり、其外城南の薪の里妙勝寺、所々に跡を殘し、終に建長寺に入滅を示し玉へり、天源庵といふあり、天筆を染玉ひて、塔の額を普光と賜はる、一度かしこに行て、ィ无香を燒、報恩の志をとげ、其外諸祖の塔を燒香順禮せはやとて、寬永十年癸酉の仲冬の初に江府を出れハ、旅よりたひに立、衣手さむき曉、左ハ江水漫々として白く、右に向へハ富士の根白し、しのゝめも明行空に、村寺の鐘を聞て、

曉出江城士峰 路邊水白照衰容 征人馬上知繼夢 道者緩敲村寺鐘

旅人の朝立て行馬のうへに見つゝや宿に殘しつる夢

まださめぬ此世の夢に「ゆめの世を見ならはし共しらてはかなき」(夢をみていやはかなゝる身の行衛かなィ)

旅衣かたしく袖に入る夢ハふる里人のよるのこゝろ歟