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の地ハ叢林相應の所也、建立有へしと、時賴時節をかへすへからすとて、折節田をかへし居たる耕夫の鋤をとりて、時賴一下し玉ひ、又同大覺鋤を取て一下し玉ひ、其處に草をむすびそめ玉ふ、其後弘安元年に大覺も入滅有て、同五年癸丑の年に、時宗公立おさめらる、時に詮藏主英典座の兩僧を使として、大宋へ渡され住持を請せらる、其狀に曰、
時宗留㆓意宗乘㆒、積有㆓年序㆒、建㆓營梵苑㆒、安㆓止緇流㆒、但時宗每憶、樹有㆓其根㆒、水在㆓其源㆒、是以欲㆘請㆓宋朝名勝㆒、助㆗行此道㆖、煩㆓詮英二兄㆒、大覺祖之弟子、莫㆑憚㆓鯨波險岨㆒、誘㆓引俊傑禪伯㆒、皈㆓來本國㆒、爲㆑望而已、不宣、
弘安元年〈戌寅(申ィ)〉十二月廿三日 時宗和南
詮藏司(主ィ)禪師 英典座禪師
兩僧