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Page:Shisekisyūran17.pdf/393

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おなしくハ秋の宮井にすみのほりひかりをそへよ雲の上の月

秋の宮とハ中宮をいへり女御にておはしけれハ立后あらん事をねかひ給へる歌なり是女御にあらすしてかくハよませ給ふへからす先にひく今上みこにおましける時家の梅を奉らせ給るとあるも孫なれハ成へし

 追考

長慶院いみなハ寬成後龜山帝御同腹の御弟なり正平二十三年東宮に立給天授の末辭して太上天皇と稱せられ給ふ後紀州玉川の山中に御籠居ありよつて玉川宮と號す御母儀嘉喜門院とよみかはし給へる御歌かの御集に有り又天授二年の夏千首和歌よませ給ふしかれとも其御製新葉集に見えす是を以て考るに御兄弟の御中不和にしてかの宸筆の御願文も必南北の間にハあらさるへし

  敬白

   發願事

右今度之雌雄如思者殊可致報賽之誠之狀如件

  元中二年九月十日太上天皇寬成敬白

このはなさく松一册ハ天明八戊申のとし塙撿挍保己一か撰ふ處也


  右明治三十五年十一月以秘閣本再校了