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是代初の御製と見えたり又同集秋下云中宮女御にておはしましけるころ紅葉の枝を奉らせ給けれハ嘉喜門院

君かはやあきの宮井にうつるへきほとを紅葉の色にこそしれ

嘉喜門院御集云建德二年なか月の末つかたひハの大なる枝につたの紅葉のかゝりたりしをわきて染たるも何となく御目とまる心地してとて女御殿よりまいらせられたりし御返事に

君かはや秋の宮井にうつるへきほとをもみちの色にこそしれ

と申されたりし御返事を內の御方より

ちらてなを秋ハちとせにめくるともはこやの山の峰のもみち葉

是等を合せ考るに正平廿三年位につかせ給てより弘和元年新葉集を撰せられしころほひまて讓位のさたなき事あきらけし或人又云元中二年九月十日太上天皇寬成と書せ給る宸筆の御願文今現に高野山金剛峰寺に有帝位につき給はすハ太上天皇の號有へからす答て曰小一條院の御例〈榮花物語大かゝみ裏書一大要記〉にて東宮より直に太上天皇と稱せられ給る成へし扨御院號もめてたく長慶とつき給へり追號にハさるめてたき文字用る事なし又此院紀州玉川の山中に籠居し給へるゆゑに玉川宮とも號す諸門跡譜に尊聖大僧正南方玉川宮男後醍醐院曾孫と有り帝位のゝち宮號を以稱し奉れる事ハためしなき事なり或又問嘉喜門院ハ系圖たしかならす今何によりて福恩寺關白女と稱するや答て曰新葉集雜上に嘉喜門院女御と申ける頃八月十五夜家に十五番歌合し侍ける時禁中月といふ事をよみ侍りける福恩寺前關白內大臣