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べければなり。然れども彼等は諦め早き日本人とは大に異れり。結局は調印と云ふ事に決心の臍を堅めしにせよ、尙其特有の粘り强き執着性を以て最後の斷末魔迄至らざれば止まず、即ち回答の前日なる二十二日にはバウエル氏の名を以てクレマンソー氏に對し(責任者糺彈に關する條項を保留して調印せんと申出で)最早「一切條件を附すること」罷り成らぬと刎ね付けられしにも尙懲りず、回答當日の朝に至りては更に二日間の回答期限延長を申込み、これ亦拒絕せらるゝなど日本式に云へば往生際の惡き事話にならざるなり。

 回答期限なる六月二十三日午後七時に先立つ正に二時間、余はバツサノ街なる西園寺侯の事務所にありしが、慌しきベルの