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兵禍に罹りて偉觀再び見る可くもあらず眞に惜むべきの限なり。

 ランスは千九百十四年八月開戰の劈頭獨逸軍の佛領侵入に際して一時獨軍の手に歸せしが翌九月聯合軍マルヌの攻勢に出で、大勝を博するや再佛軍に回復せられ爾來屢々獨軍砲火の下に立ちしも遂に最後迄其攻畧を免れたる所なり、就中千九百十八年七月十五日獨軍第五次の攻擊開始せらるゝや此地は恰も、戰線廣袤二十五哩の中央に當りしを以て攻擊激戰の焦點となり著しく獨軍の砲火を浴びしが辛じて喰ひ止めたりと云ふ、ランスが今日の如き目も當てられぬ慘狀を呈するに至りしは右の如く數次に亘りて兩軍が競奪爭取の要衝となりしが爲に