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りとか、戰爭中はいかなりしかと問ひしに只辛かりしと云ふ、今は宜しからむと云へば、然りと肯きされど戰爭前は尙一層よかりしと附け加へたり、傍に小さき子供の泥いぢりするを指しながら此子も戰爭中に生れしが今は此樣に大きくなれり早く此樣を父に見せたし等と云ふ、我々は慰問の言葉を遺して其處を立出で歸館したり。

 二十一日終日雨にして旅館を出でず、二十二日早朝ストラスブルグ發の汽車に投ずれば占領地の事とて何れの客室も佛國將校にて充滿し座席に着くを得ず、遂にマインツ迄四時間立往生の憂目を見たり、途中アルサス州と獨逸との境にして普佛戰爭の折激戰ありしと云ふウヰツセンブルグを過ぎ又ルーテル