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も認め得らるゝならむが大體に於ては反對の方向に向ひて進みつゝある事否定す可らざるに似たり、更に門閥の觀念は如何と云ふに佛國に於ては貴族の特權夙に廢せられたりと雖稱號丈は是を用ゆる事を許され居り公侯伯の存在しつゝあるは勿論姓名の始に de を附せる者數多あり、こは獨逸の von と同じく貴族の稱號にして日本の士族に比すべきものならむが是等の家に生れし女子は普通士民と結婚するを得ず婿は矢張り貴族の中より選擇せざる可らずとせられ隨つて其範圍極めて狹きが故に遂に良緣を得ずして靑春の齡を過ごすことあり、かゝる塲合には何れも尼となりしと云ふ、然るに此風習も近來は漸く弛み金さへあれば平民でも宜しと云ふ事になり米國人等に嫁