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 大市と稱ずるとかや、かくて此稲荷の市、最も大なりとす、

春日大明神社府城の東北 坂本村にあり、建饔槌命、經津主命、天兒屋根命、姫大神の四坐を奉祀す、正祭十一月廿八日、本社大和國添上郡春日郷春日神社にして鹿兒島五社の第四とす、神區精麗にして、和光を耀かす、諏方大宮司當社の祭祀を兼ぬ、西壽院別當たり、元禄五年、壬申、十二月大乗院覺慧誌せる當社再興の棟札に、享禄中、平等王院主執務之彼院絶後、蒙君命、西壽院兼社職とあり、大興寺に、弘治二年云々、春日領云々、又元龜二年、寄進春日領云々の書を藏む、其頃は、當社の事、大興寺より掌しや、

若宮八幡宮府城の北 坂本村にあり、祭神四坐、  應神天皇、神功皇后、玉依姫、  仁徳天皇とす、正祭九月九日、聖榮自記を案ずるに、 齢岳公、前條諏方神を山門院より迎祀して、本府の宗廟とし、且大隅正八幡三の神輿を以て、若宮八幡と號し、勧請し給ふといへり、即ち當社にて、鹿兒島五社の第五なり、又