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諏方御佐山神事の式とて、尾花ふき、穂屋の廻りの、一村に、しばし里ある秋の御佐山、と作る歌の如く當國に於ても、新たに茅茨を搆へ頭屋と云ひ 訓後、諏訪社より通路の南、棈木川を隔て、三町余の所、頭屋の地を設く、 兒童二人を簡み、頭殿と號し、左右に册き尊む、是勅使奉幣の式にて、頭殿は藏人頭の義なりとす、永享十年の祭禮法様記に詳なり、其頭殿、先六月朔日より別火斎居し、七月朔日に及び修禊し、頭屋に上る、其これに在るの間、凡百の儀式、或は本府諸村、及ひ谷山櫻島の農夫、數日代る鉦鼓踊りをなし、又市躍散樂等を興行し、人皆興を催す、既にして七月廿八日 に至り、左右の頭殿比廟に詣ふで、奉幣祭祀の盛禮を行はれ、 世々の 邦君詣謁し給ふ、元祿九年、丙子、六月、神祇道管領勾當長上正三位ト部兼連、啓状を以て當社に碑位を晉め、正一位とし、十三年、庚辰、四月、近衛右大臣家凞、諏方大明神五字の