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苙に陥り、蠢々として互に蹂躝奮踶し、四騎の外、亦尺寸の餘地なし、慓悍の馬首を奪ひ尾を鼓し、騰驤狂動、相駻響嗾齧、此時駒取の徒、身に柿澁染の衣を纏ひ、手に稲稈の繩を提け、勢ひに乗して直ちに此苙に衝入り、沛艾半漢の間にして屑とせす、臂を攘げ群馬を排け、縱横に廻馳り、躍るを抱きて繋き取るもあり、飛乗て搦め出るもあり、観る者野に滿ち、眸を凝し、汗を流し、覺にずも聲を揚け腕を扼ざるはなし、さて其駒悉く取て、衆馬はこれを放つなり、此馬追は、其状勇壮にして、宛も軍陣の勢ひあり、故質ある事とかや、凡本藩馬を牧するの野、許多にして、其廣大且馬匹の多き、福山㝡たり、然れども其式の盛壮なる、此吉野馬追に亞くものなし、故に貴賤男女争ひ至り、常には寂寞たる嚝野、忽ち變して都會となる、

○巴爾齊亜牧 吉野牧の内、別に一圍を成し、異國の種を放畜す、

咬𠺕吧馬牧府城の北 比志島村にあり、吉田及ひ郡山の二邑に係る、

藥園 吉野村にあり、安永八年、  大信公建つ、諸藥艸等を植ゆ、其藥品は、大略物産の部類に擧るか如し、

橘道

西田橋府城の西南 西田村に在り、神月川に跨す欄干橋なり、青銅の擬寶珠に、慶長十七年壬子六月吉日と鐫銘す、城市接界の所にして、橋東に郭門あり、橋西に市坊あり、西田町と呼ふ、出水の關門より、大道これに達し、都城の門日なれば、自他の往來絡繹として絶いず、市坊脩飾、兩行に鱗の如く列り、有を商ひ無を求め、縱横に蟻の如く集る、先つ此土に遊ぶもの、こゝに於て始て物色の壮を仰ぎ、顔をあらためざることあたは