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入して互に其主とする所を操練し、國家萬一の用を待つ、其術多端にして、紙上空談に盡すべからず、官長時に臨視してこれを激し、これを按す、亦其道を得たりと云べし、西遊記に、薩州には

犬追物など云馬術射術の式あり、折々其稽古をなすとなり、他國には稀なる事にて、弓馬の家に犬追物などは、極秘とす

る事なり、薩州には、其祖先島津三郎兵衛尉忠義鎌倉将軍の時、申次を勤し例によりて、御當家大猷院様御上覧の御時、島

津家より犬追物を勤られしより、今に至て傳來して、彼家の事とすとあり則此館に其教塲あり

明時館府城の東南 坂本村、造士館の東南、中福良にあり、治暦の館なり、 鎌倉右大將源公、 得佛公を本藩に封し給ふや、時に暦官を賜ひ自ら歳暦を作ることを得せしめ給ふ、爾來暦官己れの家に於てこれを爲す、時に安永八年、大信公此館を建給ひ、其推歩測候の器、及ひ露臺等具に備り、以て暦法を修明す、館庭に碑あり、其文左に出す、

薩州麑島明時館記