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近年枯れて、今亦其址に同種の櫻を植ゑ、年々に長して、餘芳を含めり、雍州府志曰、櫻御所、中世以來、近衛殿之所有也、世所調近衛殿絲櫻、又在斯所と、此種なるべし、

鹿見島八景、 世に府下の風景眺望の勝を撰ひ、題して鹿兒島八景と云、正徳享保の際、京師縉紳家、及ひ諸山の出家に請ふて、其詩歌を需めぬ、其圖其詩其歌粗左に鈔録す、其圖を逐て、其景を尋ね、其景に就て、其勝たるを知るべし、

福永門八景府城の西南 西田村福永門より跳望するところの景なり、寶暦九己卯の歳、宮之原通貫、和田助員をして圖を冩さしめ、八景の題を命して、家に藏む、通貫の孫通直、是を京師に携へ、高辻宰相家長に和歌を請ふ、家長題每に一首を詠じ、歌目を和歌所に納らる、其歌其圖左の如し、

水上晴嵐、水上は、西田村にあり、出水へ通る大道なり、坂あり水上坂と云、坂の下に清泉あり、因て水上