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然として去る、故に亭の名に命ず、實に是寛文十二年癸丑、正月九日なり、其地の勝たる、翠嶺後に圍み、裏海前に閘き、南開聞嶽より、海を隔て東福山に至り、凡そ三十里の景色、一望に入り、連山逶迤、潮水湛然、其山其水、清麗澄媚にして、櫻島海心に特立し、浮ぶが如く漂ふが若し、怪巖磯磧に錯綜亂峙し、或は蹲虎と疑ひ、或は奮獅に似たり、遠近巨細、並出互見、陰陽晦明四時奇變し、千形万状摹述すべからず、昔人畫山水の歌に、不門庭三十五歩、觀盡江山千萬重、其懷を騁せ性を養ふ、亦何ぞ別にこれを求めんや、且此仙洞、櫻樹甚だ多くして、春は瓊筵を花に開き、或は輕舟に棹すもあり、秋は羽觴を月に飛すなど、樂みは此地に盡すと云べし、其勝かくの如くなるを以て、國中の士庶、往々別荘を營み、臺榭園池、東西に相望み、宛も壺中別に天地あるが如し、一たび是に遊ぶもの、塵寰頓に脱し、自ら飛仙昇天の思ひあり、

 圯橋側の石碑、前文に見ゆ、

   大磯雪の讃、                 西洞院時名朝臣  月も今、入江の波に、色わきて

  雪よりしらむ、磯ぎはの里、

田之浦府城の東北 坂本村に屬す、祇園の濱より、東北大磯に至るの縁海なり、南洋の潮水、山川邑の海門より、府城の前、薩隅二州の腹に入り、一大内海となり、湖が如し、此浦其西岸に在り、潮來れば江上白く、日落れば天地青し、煙舶其間に往來して、頗る趣を資く、是より大磯甚だ遠からず、一帶の沿海なれば、風光彼に類すといへども、境移り地轉ずるに随ひ、又殊觀の勝區にして、鹿兒島八景の一なり、山本春正秦清世子の歌