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小山田瀑布府城の北 小山田村、平城の北にあり、其源は郡山邑の山中に出て、南より北に落る瀑布なり、高さ凡そ五丈五尺、横狭く、水勢壮なり、土俗是を陽瀑といふ、或は布引の瀑と名く、左右古藤多し、下流は神月川に入る、又平城の南に陰瀑とて、僅に高さ二丈許りなる飛泉あり、水少し、

近衛水府城の西北 坂本村、冷水、北郷氏宅地にあり、寒暑増减なき涌出の靈泉にして、冬日暖に、夏月冷なり、此水諸所に灌きて、用水となす、地名冷水といへるも、此靈水あるゆゑにや、櫻島上山某所藏、正平七年簸川尼が文券に、冷水の名あり此地の事と見ゆ、其久しきを知るべし、文禄慶長の際、近衛關白信輔、鹿兒島に來給ひし時、硯の水に用られしとぞ、よつて近衛水といふの傳へあり、

大磯府城の北 吉野村の海邊なり、一名仙巖洞、縁海の崖岸に道を設く、 淨國公の時、斷巖を削り、巉壁を穿ち椔翳を焚き、草莽を翦り、上下曲直、僅にこの一路を開き、始て人迹通すべし、洞口先づ行て、良英寺を得、是より左に折て、永福寺、及び潮音院あり、猶、高低迂行して、山神、櫻谷等に至り、又右に折て、天滿宮、龍洞院、皆相列る、既にして山下川流れ圯橋を架す、橋側に碑を建つ、其文に出自仙巖別館南門兩岐路口、五町二十五間、至於府城東門、西踰鳥越故道則二十七町四十四間、南循縁海新道則三十二町三十六間と記す、碑文縁海新道は、則ち上に所述にして、鳥越故道は、橋道の部に出す即仙巖園あり、萬治年中、 寛陽公是を營み、山に靠り、海に臨て、別館を搆へ、仙巖喜鶴亭と名づく、公こゝに遊觀し、翰墨の間に樂み給へるに、雙鶴蹁躚として碧空に横はり、瞭唳として青霄に響き、下りて館廷の墀に集る、いはゆる芝田に戯れ、瑤池に飲むの象の如し、日已に西するに及て、悠々