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三國名勝圖會巻之一

薩隅日總説

三國の古稱 上古今の薩摩國、大隅國、日向國の地は、建日別といひ、熊曾國といひ、熊襲國とも書き、單稱して襲國ともいふ、後日向國となり、又後日向を割て、薩摩大隅を置、又薩摩地方を吾田國といひ、阿多とも書く、又阿多、大隅に隼人あり、因て又隼人國の號あり、其後今の如く、薩摩、大隅、日向の國界を定められて、郡邑を置れしなり、此三國は、太古より一連疆の域にして、地脉も風氣も相通ず、今や我藩、薩摩、大隅、日向諸縣郡を併せ、我封内に係りたれば、古に復せる者といふべし、今其建置沿革等を考ふに、荒古瓊々杵尊、襲之高千穂峰に天降の時、膂完の空國といふこと見𛀁たり、日本書紀曰、立於浮渚在平處而膂完之空國、自頓丘覔國行去、と是なり、高千穂峰とは、