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ひとりの友は獄に死す

梅雨の窓、セキズイの疼きに慟哭する。

   ×     ×

ああ、まぼろしの経はひとすじ――

病み呆け、霧ふりやまず ふりやまず。
生や 死や

あハハ そは 問わまほしく哀れにおかし。

〈昭和十五年、日本詩壇〉

死刑陰影

この法廷には
一人の傍聽者もいない。
検事も弁護士も書記も 監守もいない。
白昼であるか――深夜であるか――それもわ
 からない。
裁判長である 老翁が
孤り 黙想として 端坐している。
――自らの暗欝あんうつな陰影を囚人として。
風沙の崩れる音――寂けく――杳く
裁判長は一頁――一頁 刻明に調書をめくる。

うぶの日――難産にして逆児さかごなりき
 匍うの日――歩むの日――乳房を噛み 糞
 尿を掴み
 悪童にして爛漫。天才にして早熟。
 あしたに花鳥をあやめ――ゆうべに西瓜を盗みき。
 日に月に荒たけの――かくて故郷に恐げなる
 恍惚を撒きつつ……)
 耳を澄ませば――夜潮のごとく 盛りあがり
 ゆく戦車の轟き。
 おお老翁の額に燃えあがるもの。――若き日
 の黎明のあけか。
〈セキズイの疼き――欝勃として青春を拗ね
 歎きつつ怒りつつ国禁の書を漁り、社会主
 義者と交わり、家産を破り、
 人妻を恋い、げに血涙熱き男子おのこ
 哀れ、無頼にして純情、飄逸にして奇行。
 開戦の朝、ああ遂に捕縛されて此處に裁か
 る〉
裁判長は深く瞑想している。――音もなく流
 れやまぬ時空の……
咄!天譴の叱咜。――起立して自らの陰影に
 判決する。

〈被告を――死刑に処す〉

〈昭和十五年、日本詩壇〉

雪解

鮎のはら ほろほろと
    舌を刺して にがきは何ぞ、
濁り酒 ろんろんと
のどを灼きて 疼くは何ぞ、
こぞの女と――逢いて
  涙流せば わらわれむ。
現世うつしよの つれなき男 皆 平伏ひれふすという魔
 法のしもと 欲し)
げに 幸うすき 女なれば
  かなしくも 心おごれる言葉かな

むね病みて異国――杳く――逃れきたれり

夫ならぬ 男 訪いしは
  かりそめならぬ
生けるしるしなる 一瞬ひとときほどの 歓喜よろこびなるや……
  はたまた 永劫なが悲哀かなしみなるや……