コンテンツにスキップ

Page:Poetry anthology of Toru Otsuka and Aki Otsuka.pdf/25

提供:Wikisource
このページはまだ校正されていません

インテリの霧

馥郁の ありとあらゆる媚態を吸収し 吸収
 して
いまし角砂糖の 己れ自らを崩壊する 哀れ
 毛細管現象
それはひたひたと甘く かなしく
霧ふかき夜の 情痴の疲労に溶けて、
虚ろ――爽やかに 粧い艶めく黎明の訪れ。

宿酔の 瞼の裏を匍匐するインテリの
霧。(銃声・爆撃・突喊・ああ遂に占領すれ
 ば君が打振る肉体の白旗だった)

夢妙の 窓に漂れる 木犀の秘語。眩惑の
 卓に纒る 紅茶の愛撫。
ふと 羞恥と哀憐と侮蔑と、われら若き後悔
 にも似た一瞬の目配せに
人間の卑賤の習性は たちまちに妥協して

妻は 透魚のように 白銀のスプーンに戯れ、
僕は 花瓣のように 暁天のニュースを聞く。

それは
情痴ならぬ 朝現世の戰車の響。
飽くなき 殺掠の剣。。涯しなき侵略の轍。眩
 るめく それら暴虐の戰禍の
搾取の 圧制の 血沼の底に死んでゆく
職工や農夫たちの 蒼白い沈黙の凝視が……
ああ、あの重苦しい 忿怒の呻吟が……

強権の、ありとあらゆる悪業を吸収し 吸収
 して、
現世の 気疎い罪科の毛細管現像。
やがて 己れ自らを崩壊するものの 跡に
営々と 弛まぬ 建設の 愛しき子孫たちの
 爲に
いとも爽やかに 今朝インテリの霧霽れわた
 り
見よ!
燦々と 光茫射す 真理の行手。
僕は 起ちあがって明粧の戸外に駆けでる。
妻は、僕のあとにつづく、児の手を曳いて。

〈昭和十一年、ばく〉

掌上四季

新月淡く匂えど
獲物なき 獵人のごとく
疲れ 蒼ざめ 項垂うなだれて
わが陰影かげは 夕昏の家路をたどる。

新月淡く匂えど
力なく 言葉なく
掌ひらくに 甲斐もなく
哀れ臬まる 貧家の瞳に
今日の日の 一粒の糧さえ示すによしなし。

新月淡く匂えど
まこと獲物なき 獵人のごとく
わが掌は 虚ろ佗しく 問わまほしけれど
友よ! いましばし 怪しみ 懐しみて
さは深く たずね給いそ。

春は掌上に 花瓣の児ら 戯々として遊ぶに
 ぞ。
夏は掌上に 烈日の姉 凜々として炊ぐにぞ。
秋は掌上に 霧雨の妻 切々として涙するに
 ぞ。
冬は掌上に 雪景の父母 霏々として
枯木のごとく 永き歳月を跼りてもったいな
 し。

ああ友よ!
今宵ふるさとの山嶺に
新月淡く匂えど
そを嘆きかなしみ 夢なたずねそ給いなそ。
合掌すれば