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この夜ふけ、俺はみた――
おまえプロレタリヤのはげしい反逆と眞赤な
 闘志をみた。
奴等の憤怒の涙が火のように燃えあがった
 胸と胸との焔にふれた。
おまえの悲壮な決意が俺たちの仲間に加盟を
 誓った
その夜ふけ、だがいとしいミブ子よ! 俺は
 みた――
おまえの雄々しい烈火の瞳をよぎるものは
婉鬱な獄窓の花か! それとも冷徹な断頭台ギロチン
 の結婚か!
ああ故郷の貧しい父母と幼い妹の映像がチロ
 ロ眉間にすすり泣いた。
俺はいましずかに思索することを恐怖おそれる。
おまえの恋が俺と数多い同志の剣を鈍らせは
 せぬかと――

ミブ子よ、ミブ子よ、放膽な胸の鉄火をしば
 らくしずめて
黙然とおまえは水族館の幸福の魚であれよ。
たとえ一時の昂憤がおまえの憤怒をろうと
 も、
生活の苦澁にもっともっとかたき認識しるまで
 は、
そのままでうら若く芳潤な恋の少女であれよ
肺を病んでぽつねんと窓辺に秋雨を聽くコス
 モスであれよ。

たとえ去日こぞの太陽が燃えすれて西天に逃避
 しようとも
向日葵が終焉の一矢を放抛はなって闇夜にくずれ
 ようとも
それがプロレタリヤの明日になんのかかわり
 があろう
ミブ子よ
秋は白霜の訣別――
明日あすへ 明後日あさって
俺は喇叭を吹いて闘争の黎明へ旅立とうぞ。

〈昭和七年、山陰詩脈〉

杏の木

晃子よ。蒼苔の庭に、春は白き花匂う杏の樹
 がある。

晃子よ。じゅん、じゅんと霖雨つゆけむり、甘き
 木の実熟する杏の樹がある。

晃子よ。眞夏の太陽に灼かれて、っと燃え
 あがる杏の樹がある。

晃子よ。秋くればまず葉を紅染そめ敬虔つつましくも
 赤裸はだかにかえる杏の樹がある。

晃子よ。男二十五の冬はセキズイ病んで、た
 だもう、うつらうつらと杏の樹がある。

されど晃子よ。春めぐりくれば、ああまたも
 白き花匂う杏の樹がある。

〈昭和七年、文芸ヴァリエテ〉

掌・断章

掌には、いっぽんの樹も、いちりんの花もな
 い。
掌には、鳥も飛翔ばず、獣も咆哮えず
ここは、墓場のような寂しさ。

   ×     ×

或る日。掌は、
掌と掌とふたつにからんで情痴に暮れた。

灯黙ひともし頃ともなれば
掌はめらめらと怪しげな情炎を焚いた。